上掲画像のゲンツェンが考えた表現ではないが、論理学(記号論理)では慣習的に「cが存在する」を次のように表す:
∃x (x = c)
私(管理人)は、この表現はダメだとずっと思って来た。
『文系のための記号論理入門』pp.85f.では、どうして ∃x (x = c) で「c が存在する」を表してはならないのか、についての詳しい議論が展開されている。
ここで改めて議論してみたい。
理由1.特称文
『文系のための記号論理入門』pp.85f.での議論を断片的に紹介すれば、∃x (x = c) で「c が存在する」を表してはならないと思われる一番の理由は、∃x (x = c) が本来、特称文であり、存在についての言明ではない、ということである。
参考:特称文については下記記事も参照
特称文の読み方に従えば、∃x (x = c)は「或るものがc と同一である」といっているだけである。そこに存在含意はない。
存在というより、同一性に問題をズラしているようにもみえる。実際そうであろう。
理由2.論理学に存在を語る資格はない
また、記号論理において存在とはモデルの対象領域における要素以上のことを意味しておらず、そしてモデルとは論理的真理を発見するための「解釈の」道具立てでしかない。
その「解釈」とは、文や論理式を解釈する意味論(論理学の一分野)上の作業でしかなく、対象世界だとか実在の世界には一切かかわり合いがない。
理由3.指示対象のない個体定項の表し方
あと、モデル論的意味論の視点でいえば、個体定項の解釈に「なにも与えない」ということはあるのだろうか?この点も気になる。
Ii (c) = ? Ii は解釈関数
空集合は述語の解釈でのみ許されているので、個体定項には宛(あてがえ)がえない。では対象がない時、?にはなんと書けばよいのか。
もっとも、この件についての答えは簡単で、対象領域にない対象γ(ガンマ)をテキトーに宛がえばよいだけである。
Ii (c) = γ∉Di Diは対象領域
いずれにせよ、私(管理人)は、以上3つ目の観点から、∃x (x = c)を改めて考え直す必要があると思っている。


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