子供に教えるということ

雑感

 

基本的に私は、教える時には「子供」に教えるものだと思っています。

 

「子供」というのは、自分で生活費を稼いでいないだとか、親から仕送りをもらっている、だとか、そういう意味で、子供だと考えているワケではありません。

 

注意1:本記事は、特定の組織の見解・方針を代表したものではなく、あくまで個人の見解です。これに従って、どうこうする、というものでもありません。

注意2:管理人の都合で内容はその都度変更される可能性があります。なにかしらの証拠文書みたいものを意図してキャプチャ等撮られても困りますので、何卒ご理解ください。

 

以下の話は、ほとんど自分の精神衛生のために書いています。

 

「子供」に教える


☝特にこういうのを見て☝感銘を受けるわけでもないのだが☝

 

 

大学というと大層なレベルの話をするところだと思う人が多いかも知れませんが、高いレベルの話などしても、誰もついて来ません。

 

「それ(学術的に高いレベルの話)を理解する学生さん」などいませんし、「それを理解する努力をする理由が分からない」学生さんがほとんどだからです。

 

私が、大学では子供に教えている、と思うのは、そういう理由からです。

 

「こんなこと学んでなんの役に立つのですか?」という質問をしてくる学生さんに、私は答える言葉を持っていません。

 

「それを自分で考えて選択しているのではないか?」と問い返したいのですが、それをするとケンカになりますし、「自分で考えろ」とも突き放したくもありません。

 

 

大学の講義は新書以下レベル

☝要するにこういうのを☝やれということか?☝

 

 

結局、大学の講義は、新書レベル以下、が水準になります。配布プリントなどで恐ろしく難しいことが書いてある講義をたまに見ますが、10%くらいしか理解されてないでしょう。

 

いや、むしろ10%くらいの理解しか望まない学生さんの方に問題がある・・・と言ったら傲慢なのかも知れません。

 

 

 

「課題・単位のため」という溝


☝AIで全部可能☝というのはウソだと思ってます☝

 

 

多くの学生さんが講義を「卒業するために仕方がないから取っている」という視点で受けているでしょう。これは、大学で教える以上、(相手=学生さんが取るところの)避けられない学習態度だと思っています。いわば義務教育の延長線上に大学入学があるのだから、その時代(義務教育)に植えこまれ、しみついている考え方だと言えます。

 

あるいは、塾業界の悪影響もあり、入学試験だとか資格取得の役に立たない学習は意味がない、という価値観も植え込まれます。

 

そんな体たらくなので、受けている・受けようとする講義が「喉から手が出るほど欲しい知識だ」と思って受講する学生さんなど居るはずがありません。そういった態度で、つまりものすごく積極的に講義を受けるのは「恥ずかしい」という若者じみた気持ちもあると思います。

 

結局、全部が全部「宿題に取り組む」以上のものとしてしか受け止められません。そつなくこなし「単位を取る」以上にはなり得ません。

 

そして講義が終了すれば、すべて忘れ去られます。

 

これは教え手と聞き手の間に埋めがたい溝を作っています。

 

 

ギャグを言わない


☝別にこういうのが☝理想だとも思っていません☝

 

 

では、そんな「子供の」学生さんたちに向けてなにを話せばよいのでしょうか。

 

ひとつは開き直ってエンターテイナーに徹する、ということです。ギャグを言うのも、ひとつの手でしょう。

 

しかし或る時から、私にはそれができなくなりました。それをすると、自分がやっていることの価値を下げることになるからです。

 

なので仏頂面(ぶっちょうづら)になりました。別に「やりたくないなあ」とか思いながら講義をしているわけではありません。

 

 

結語:錯覚であってほしいとも思う。

 

以上の私の考えは、錯覚であってほしい、と思うこともあります。

 

単に、2,3の学生の非常識な態度(講義中に教卓の真ん前を通って教室の外に出る,大声でわからないことを騒ぎ立てる,ネット上の悪口や評価にのめり込む者・・・など)に振り回されているだけかも知れません。

 

そうであってほしい(つまり、ここまでの話は実を言うと、私のただの被害妄想であり錯覚だった)と強く願う時もあります。

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