英語文章実践家というか、英語文章執筆実践家というか、なんか、私(管理人)は、自分がそんな類の人種の気がしている。
(英語に限定した話ではなく、なにかしらのことを)教えたことがある人なら、わかってもらえるかも知れない。
自分の発見が相手に興味を持たれることはない
教える立場にある人なら、些末な違いを発見して知的高揚感を覚える、という体験がいくつかあったはずだ。
しかし、その発見を、例えば中学生、高校生、さらには大学生に伝えても、共感を得られることは少ない。
相手が当該問題に、そこまで深く考え込んでいることは稀だからだ。
結局、塾産業に代表される授業というものは、そこで成り立っている。つまり、テストに出ないような些末なことは教えるな、ということだ。
カネと引き換えに自分を押し殺さなければならない。
テストに意味はあるのか
上記の考えの延長線上にテストがある。
テストに出ないようなことは教えるな、という教える時の視点は、テストに出ないようなことは学んでも価値がない、という学習者としの自分の勉強態度に返って来る。
結局、この考え方の延長線上に資格ビジネスがある。英語だったら、英検,TOEIC,TOEFLなど。
しかしいくらテストに合格したところで、いまこの文章が書けなければ意味がない、いまこの文章が読めなければ意味がない、いまこの発音が聞き取れなければ意味がない。
そしてそれらのわからない問題は、テストには出ないことが多い。ここまで来ると、テスト作成者と自分との対立くらいに問題が先鋭化される。
英語文章実践家(英語文章執筆実践家)
テストのために勉強をすることのくだらなさ、といったら語弊があるが、上記のところにまで問題が煮詰められた時、私(管理人)はテストに向けて勉強をする、という態度を捨てた。
ただ、それでも英語表現(英文法なども当然含める)に対する興味は失っていない。なにより、自分の探求していることが、他人に値踏みされる(テストなり、塾で教えるなり)嫌な気分から解放されたような気もした。
本サイトで、やたら私(管理人)が自分のことを英語文章実践家(英語文章執筆実践家)と呼ぶのは以上の意味においてです。


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