動詞句、つまり動詞と前置詞等のつながりはそのまま、その動詞に相当する名詞に表現を変えても、流用される「つながり」なのだろうか?
書き手(実践家)となって初めてわかるのだが、マルバツ問題ではどうでもよかった点に妙にプレッシャーがかかることがある。
例えば☟こんな文を書いたとしよう。
Translating “⋀” into “and” is acceptable. ⋀を”and”と訳してもよい。
しかし、動名詞を主語にするのを好ましくない、と思う人もいるだろう。私(管理人)なんかがそれだ。
そんな時☟こう書きたくなる。
The translation of A into B is acceptable. ⋀の”and”への翻訳は許される。
しかし、translate A into B という熟語(動詞句)があるからといって、それを translate の名詞形である translation にまで流用してよいのか。
つまり、
translate は into と使ってよい。
↓
translation も into と組み合わせて使ってよい。
この理解は全ての動詞句(熟語)に当てはまるのだろうか?
多分やってよい(その理解で正しい)
そういった視点で、改めて外人(英語ネイティブとは限らない)の書いた文章を漁っているのだが、答えは、恐らくやってよい(上記理解は、多分すべての動詞→名詞化に当てはまる)。
最近見たのが☟こんな表現だ。
In recent literature, the definition of expressions as sequences of symbols is referred to as concrete syntax. (Negri et al. 2001)
訳すと「最近の文献では、表現=記号列という定義は、構文論の具体的な見方だと考えられている」。
外人(英語ネイティブである必要はない)のやることは、はるかにエゲつない、と思った瞬間だった。



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