否定:図を使った論理学学習の限界

論理学

 

 

古い論理学(アリストテレスの三段論法を使った論理学)の常套手段であるヴェン図とオイラー図を使った基本文型の視覚的表現を辿って来た。

ヴェン(ベン)図とオイラー図
John Venn (1834-1923)円や丸を描いて概念や集合をイメージする、という知的作業は非常に自然な(生得的、直感的)なもので、わざわざ、それをヴェンやらオイラーに帰するのは、うなずけないところがある。しかし、それでも慣例的に、ヴ...

 

古い論理学(アリストテレスの三段論法を使った論理学)には4つの基本文型がある。

 

A: すべてのFG である。

E: すべてのFG でない。

I: 或るFG である。

O: 或るFG でない。

 

これまでAについては以下の記事で図の表現を考えてきた。

全称文のヴェン図とオイラー図
全称文は、古い論理学(アリストテレスの三段論法を使った論理学)でも、記号論理でも、重要な位置を占める文の形式である。全称文「すべてのF はG である」∀x(Fx→Gx)この文形式について、ふつう人が直感的に持つのはオイラー図であろう。オイラ...

 

そしてIについては以下の記事で図の表現を考えてきた。

特称文のヴェン図とオイラー図
全称文についてのオイラー図とヴェン図での表現をみた。今度は特称文での表現をみてみよう。特称文とは、次の形式を持つ文のことである。特称文「或るF はG である」∃x(Fx⋀Gx)この文の形式について上手に表現しているのは、全称文の時とは正反対...

 

ならば筋として几帳面にEOについても図の表現を考えるべきだ、と考えるのが当然だが、そこまでする必要はない、と私(管理人)は思っている。

 

 

E: すべてのF はG でない。

 

全称文「すべてのFG である」を記号化すると∀x(FxGx)だが、この否定には少なくとも3つ考えられる。

 

x(Fx→¬Gx)

x¬(FxGx) →ヴェン図オイラー図なし

¬∀x(FxGx) →ヴェン図オイラー図なし

 

この内、古い論理学が全称文として扱っているのは∀x(Fx→¬Gx)のみである。確かにヴェン図とオイラー図は、その形の否定文に対する図を用意しているが残りの2つには用意していない。

 

 

O: 或るF はG でない。

 

特称文「或るFG である」を記号化すると∃x(FxGx)だが、この否定には少なくとも3つ考えられる。

 

x(Fx⋀¬Gx)

x¬(FxGx) →ヴェン図オイラー図なし

¬∃x(FxGx) →ヴェン図オイラー図なし

 

この内、古い論理学が全称文として扱っているのは∃x(Fx⋀¬Gx)のみである。確かにヴェン図とオイラー図は、その形の否定文に対する図を用意しているが残りの2つには用意していない。

 

 

視野の狭さ

 

以上からわかるのは古い論理学(アリストテレスの三段論法を使った論理学)の視野の狭さである。

 

EでもOでも視野に入れられていない否定文の形がそれぞれ2つずつあった。これでは話にならない。

 

記号論理を、古い論理学とパラレルに学習している人は、ここら辺から記号論理に向け完全に(古い論理学から)離脱して行ってもらいたい。

コメント(ディスカッション)